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2015年10月27日

11月8日 トップワークス感謝祭に出店します

 11月8日、沼津市原の原町中公園にて行われる、「第8回 トップワークス感謝祭」にて出店します。



 工務店さんの催しという事で、毎年好評という網戸の張り替えや廃材の無料配布があり、 ものづくりや様々な工作体験があります。
 子ども達が大工さんになり、やぐらを建てて完成したら上棟式の様に投げ餅。廃材を使った木工教室や、角材を切る時間を競うタイムアタック、ネジの早回し競争など。
 
 イベントゾーンでも竹細工や押し花など様々な体験もありまして、そこで発掘体験ブースを開きます。
 砂の塊の中に入った化石や土器、宝石を掘り出すお遊びですが、入ってる宝石や化石は本物の物も用意します。
 
 ステージではミニライブやパフォーマンス、モッフル・焼きそばなどの飲食ブースもあります。

 沼津市原には愛鷹山の山裾に「早雲旗揚げの城」と言える興国寺城跡あり、それをデザインした「Castle of raising a SO-UN」Tシャツも販売します。
 ネットショップでは3300円で販売してますが、今回は2500円で販売します。

 11月8日は小雨決行、10時から15時まで原町中公園にて!

 ※駐車場は会場付近のトップワークス会社敷地・沼津信用金庫さんの駐車場です。路上駐車は出来ません。
  


Posted by かるの at 07:35Comments(0)Historical Transmission design

2015年10月23日

ネットショップを開設しました

 この度、軽野造船所では簡単ではありますが、ヤフーショッピング内にネットストアを開設しました。


全品送料無料でお届けします。
これからも様々なデザインを取り揃えて行きますので、どうぞよろしくお願いします。

軽野造船所ネットストア
http://store.shopping.yahoo.co.jp/karunozosenjo/

  


Posted by かるの at 16:54Comments(0)Historical Transmission design

2015年10月18日

本日講演 「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」 静岡市 くればにて

 本日14時より静岡市のシニアライフ支援センター「くれば」にて講演致します。

  内容は「二つの天を抱いて 太平は夢の如く」です。


(知略と勇猛、誠実な人柄から南北朝双方から称賛された楠木正成)


 鎌倉幕府末期、幕府は社会の変化に対応できないまま、各地で倒幕の火が燃え広がり幕府は倒された。
 幕府という共通の敵を倒した後、新たな世の中を目指して、新たな形を造ろうとする者、旧来の姿に戻そうと計る者、思惑は巡り朝廷・武家とも親兄弟で相争い、何を信じて良いか判らぬまま、新たな時代が模索された南北朝時代についてお話しします。

 「室町幕府・南北朝時代・武家政権に関心がある方におすすめ。」

 会費:500円

 開催場所はコチラ・静岡市両替町2丁目3-6大原ビル1F シニアライフ支援センター「くれば」
 


 参加は自由です。直接、来場してください。問い合わせはコチラから。054(252)8018
 もしくはオーナーメールで直接お願いします。


 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました
  


Posted by かるの at 11:46Comments(0)歴史発見講座

2015年10月14日

明日の上土稲荷市に出店します

 急遽ですが、沼津市上土にて毎月15日に開催されている稲荷市に出店する事になりました。

 毎月講座を開催しているLot.nさんのご厚意により、話しを繋げて頂きました。

 Lot.nさんが戸田の物産を販売していることから、戸田のデザインを作ってみなよと言われたので、幕末の戸田にて行われた、日本初の近代造船・ヘダ号の建造をテーマとしたデザインを作成しました。

 話を頂いてから急ピッチで作成したので、プリント元から届いたのが今日というギリギリでありました。正真正銘、おろしたてであります。

 稲荷市は朝9時から12時まで!Lot.nさんでお待ちしています。  


Posted by かるの at 22:20Comments(0)Historical Transmission design

2015年10月12日

商標登録を出願しました

 この度、軽野造船所は特許庁に商標登録を出願しました。



 開業して5年くらいしたら出願と思っていましたが、当方と似た名前の団体があり、近しい人でも勘違いされている話を何例も聞いておりましたので、出願いたしました。
 デザインに関しては真似されても仕方ないかなと思いますが、屋号とロゴに関しては守りたいという思いであります。



 出願に関して、書類を作成するのに特許庁の窓口に何度か電話しましたが、一枚の書類でOKというのは驚きでした。

 あと、この出願に際しては、ネットショップ販売も視野に入れております。
 ネット販売すれば、という声は多分に聴いていましたが、真似を懸念していました。ここで出願となりましたので、態勢を整えて準備して行きたいです。



 登録までの審査には半年ほど掛かるという事ですが、登録の旨にはまたお伝えします。  


Posted by かるの at 21:28Comments(0)Historical Transmission design

2015年10月11日

本日講演 「果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」 散歩かふぇ ちゃらぽこにて

 本日15時より散歩かふぇ ちゃらぽこにて講演致します。

  内容は
果ての島の物語 玉置半右衛門と欲望の渡り鳥たち」
です。


(大東島の開拓記念碑)


 外国人の冒険商人たちに触発された玉置半右衛門は、絶海の孤島・鳥島に分け入り群れ飛ぶアホウドリを捕まえ巨万の富を得る事に成功する。彼に触発された山師めいた商人たちは、無人島を見つけては事業を展開して行く。
 日本の版図が拡がりゆく時代、玉置商会という会社を通じて、開拓の負の一面を語ります。


 「明治時代・無人島開拓・伊豆諸島、琉球地域・プランテーション・アホウドリ」に関心がある方にオススメ。

 会費:1500円(ドリンク付き)

 時間:15時から

 開催場所はコチラ・


 ※駐車場がありません。公共交通機関か近隣の駐車場をお使い下さい。


 申し込みはオーナーメール、もしくはちゃらぽこさんへ直接お願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 12:16Comments(0)歴史発見講座

2015年10月07日

最前線・御台場散策

 散歩かふぇ ちゃらぽこさんの企画・「城跡探索・品川台場」に参加しました。
 ちゃらぽこさんにて城郭講座を開催しているサイガさんガイドの城跡探索の一環で、品川に残る二つの台場跡を、水上バスの船の上からと、レインボーブリッジによる橋の上から見る事で、ショッピングやレジャーだけでない、本当の「お台場」を知る企画です。

 夏場であるので、集合は13時からとスロースタートであったので、乗り換え無しの上野東京ラインで来るとやや早い到着なので、最寄りの増上寺を見てみる。

大門

最寄の地下鉄駅名・大門駅に使われている「大門」は、増上寺の総門のこと。現在の総門は昭和12年に作られた、コンクリート造のものである。
やや狭い門の間を自動車がかなりの速度で抜けていくのが怖い。

総門を抜けると周囲はオフィス街の様だが、その先の緑地の隙間から大きな門が見えてくる。

三解脱門

元和8年(1622年)建立の二重門。戦災をまぬがれた建物の1つであり、重要文化財に指定されている。
この門をくぐると、三毒から解脱できるとされる。三毒とは三つの煩悩である貪(とん)、瞋(しん)、癡(ち)であり、貪は万の物を必要以上に求める心、瞋は自分に背くことがあれば必ず怒るような心、癡は真理に対する無知を意味する。

内部には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されている。

グラント松

明治12年7月、アメリカ18代大統領であったグラントが、大統領を終えてから世界一周旅行中に来日し、増上寺にも植樹した。
三島にも暦師の館にグラント松があるので縁を感じる。

ブッシュ槇

コチラは第41代大統領・ブッシュ氏の植樹。

魚供養の碑

千代田水産という会社により建立。

この手水舎は、三代将軍・徳川家光の三男・綱重の霊廟に在ったもので移築されたもの。

創建当時の数少ない遺構。

聖鋏観音

山野美容専門学校の創始者・山野愛子氏が、1977年に8月3日を「ハサミの日」とすることを提唱し、4年後の1981年8月3日に観音像を建立した。以後毎年8月3日に増上寺では「ハサミ供養」が行われている。

大殿。

昭和49年の再建。室町期の阿弥陀如来、脇仏に法然上人像、善導大師像がまつられている。
伽藍の向こうに東京タワーが見える。徳川幕府の瓦解、明治維新後の神仏分離の影響により規模は縮小し、境内の広範囲が芝公園となり、東京タワーの建設時には増上寺は墓地の一部を土地として提供している。


大殿の脇に廻り込むと在る、この門は鋳抜門で、門の向こうは徳川家霊廟である。

徳川将軍15代のうち、秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂、将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮(十四代家茂公夫人)ら五人の正室、家光の側室・桂昌院(綱吉の実母)はじめ五人の側室、及び家光の三男・綱重ほか歴代将軍の子女多数も埋葬されている。
第二次世界大戦前には台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧国宝に指定されていたが、昭和20年に2度の空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失した。
僅かに残った建物もその指定を解除され、焼失した御霊屋郡は暫くのあいだ荒廃に任されていたが、これらの霊廟に祀られていた遺体を昭和33年に調査発掘し、その後桐ヶ谷斎場にて火葬され、現在地に改葬された。鋳抜門は文昭院霊廟奥院中門であった門で、数少ない生き残りである。

門は青銅製で、左右の扉に五個づつの葵紋。両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。
日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構である。

お地蔵さんがズラリ


最強だそうです


大殿を東側から望む


ここに阿波丸殉難碑を発見

太平洋戦争中の昭和20年4月1日、シンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船「阿波丸」が、アメリカ海軍の潜水艦により撃沈され、2000人以上が死亡した阿波丸事件。
「阿波丸」は日米間の協定で安全航行を保障されていたはずであり、犠牲者の人数において、タイタニックを上回る悲劇となった。
1979年4月、中国領海内の福建省沖合約20kmの地点で「阿波丸」の残骸が発見された。中国政府は潜水調査を実施し、回収された遺骨158柱や遺品は日本側に引き渡され、同年7月、遺族ら800人が参列して増上寺で法要が営まれた。

ここで増上寺を出て、来た道を戻る。

増上寺前に在るこの建物。レストランの様だ。

入ってみたかったが、閉まっていた。クレッセントとある。

1947年に古美術商店として営業し、1957年の増改築を機にレストランとなった。増改築により1968年にビクトリア風の建築様式を採り入れた格調高い洋館の高級フレンチレストランとして、ミシュラン2009の二つ星レストラン。

浅岡飯炊きの井

ここには仙台藩伊達家の増上寺参詣の折に使われていた支度所の跡で井戸が残っている。
1660年の仙台藩のお家騒動・伊達騒動の際、後に藩主になる事になる亀千代(後の伊達綱村)を毒殺の危険から救うため、乳母・浅岡がこの井戸の水で調理したという。



ここで昼食





蕎麦の更級布屋。寛政三年の創業という老舗。老舗でありながらそれほど高くない価格です。

食事を済ませた後、集合場所の日の出埠頭へ向かう。最寄りの浜松町駅からでも700mとそこそこな距離が。

13:00に日の出埠頭にて本企画参加者が集合。


水上バスで台場へ向かいます。


レインボーブリッジの先にクレーンがズラっと並んでいます。


築地から有明へ移転する東京都中央卸売市場の工事か?


第六台場に近付きました。

第六台場は立ち入りが出来ない。

角の部分を見ると、角を境に石垣の積み方が異なるのが見える。


振り返ってレインボーブリッジと第六台場


お台場での海水浴が認められた、というニュースがあったからかそこそこ海水浴客居ます。

なんとなく、大規模な商業施設やオフィスがある中で、海水浴している人が居るというのが不思議な感覚でした。

お台場海浜公園から台場公園に向かって歩きます。

典型的な「お台場」の風景


お台場築造150周年記念植樹とある。

築造を指揮した江川太郎左衛門の縁という事で韮山でしょうか。

台場公園に近付きます。


石垣に返しが付いており、登りづらいようになっている。


公園内


嘉永6年(1853年)、アメリカ艦隊来航にあたって、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。
工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場と呼ばれた。
ペリー艦隊二度目の来航時、艦隊は品川沖まで来たが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し、そこでペリーが上陸することになった。
品川沖に11基の台場を一定の間隔で築造する計画であった。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である。


公園の内部は凹んでおり、台場も城郭構造を意識している事が分かる。


陣屋や弾薬庫の痕跡がよく残されているとして、無人島と化している第六台場とともに1926年(大正15年)10月20日に「品川台場」として国の史跡に指定された。


擬木のコンクリートで砲台を模しているが、これは昭和三年に公園として整備された際に設けられたものであると思われる。

本来は砲台は木製であったそうだ。

駐屯する兵の為のカマド跡

円形にする事により省スペースかつ、煙突を設けているので燃焼効率が良さそう。
各地のキャンプ場でも取り入れれば良いのに。

公園は窪地です。これは射撃を防ぐため。


完成した台場の防衛は江戸湾の海防を担当していた譜代大名の川越藩(第一台場)、会津藩(第二台場)、忍藩(第三台場)の3藩が担った。と、いう事でこの台場公園は第三台場なので忍藩の藩士が駐屯していた。

この辺りに弾薬庫があったそうだ。


内側になる江戸側には船着き場が設けられ、物資のやり取りが出来るようになっていた。

この砲台は十字砲火に対応しており、敵船を正面から砲撃するだけではなく、側面からも攻撃を加えることで敵船の損傷を激しくすることを狙ったものである。
台場の位置は、当時の列強諸国の使っていた大砲が射程距離7キロ前後であったので、江戸城を直接砲撃されないように、という防御線として築かれている。

では、公園を出てレインボーブリッジに向かう。
車やゆりかもめで渡った事はあるけど、歩きでは初めて。



驚きだったのは門番みたいな人が居て、自転車が走って通行しない様に、車輪をロックする機材を取り付けられてしまう事だった。

第六台場


この角度が一番カッコイイですね。




小早型の遊覧船



柱の所まで来ました。


港の荷役用クレーン。赤白は景観的にどうかなあ。

空色と白の清水の方が良いです。

橋脚部分から桁を望む。


安宅船も。これは乗りたい。


こうして品川側に降り立ちました。

乗り物ではすぐ通り過ぎてしまう橋も、歩くと一時間ほど。
陽射しと風が強く、やや体力消耗・・・


芝浦側は商工業地区の趣き。


第一芝浦丸

大正時代に東京湾の埋め立てが盛んであった際に、埋め立て土砂を運ぶ船を動かすタグボートであった。

東京モノレール

すぐ頭の上を走るのがコワイ

天王洲アイル

実は第四台場の跡。この護岸は、旧第四台場の石垣を再利用したものである。
大正元年に第四台場は緒明菊次郎に払い下げられ緒明造船所となる。またまた三島との縁が。

案内板が手に摘まんだ様な形。奥の公衆トイレもオシャレですね


この道は海岸線だったとか。


寺田倉庫の施設

寺田倉庫といえば老舗の倉庫業でありながら、今はデータセンターという事で。

テレビ東京本社

他のキー局に比べると、思っていたより小さいですね。

先回の続き・・・


品川区立台場小学校

御殿山下砲台跡で、学校の周りの道は、台場の外側である。
他の台場と異なり、資金不足の計画変更のために品川の海岸沿いに陸続きで五稜形の砲台が築造され、154門の大砲が備えられた。

たまたま近くに在った薬局


老舗な雰囲気の理容店。

ただ残念ながら閉店してしまった様だ。

唐突なゴジラ

実はゴジラの第一作では品川に上陸するのであるが、この店の位置が上陸地点であるとの事。

台場小学校の周りをぐるりと回って反対側の校庭入口へ。すると小さい灯台が。

明治3年から昭和32年まで第二台場にあった品川灯台のレプリカ。
国の重要文化財に指定され、現在は愛知県犬山市の明治村に移築されている。

という事で、今回の台場散策会はココで終了。解散となった。
品川駅に向かう途中に、品川宿の跡を通る。

看板建築な金物店


この石垣は、宿場の道から一軒海側に在るが、海を隔てていた石垣。

今では海は相当先まで埋め立てられて見えないが、高低差が陸と海とを示している。

品川宿の入り口


公衆トイレもナマコ壁

品川駅構内にあったポスト。懐かしい東海道線を模している。

「Okm 山手線」「Okm 品鶴線」という標柱があるが、品川駅は山手線の起点だそうだ。
品鶴線とは品川駅と横浜の鶴見駅を結ぶ路線で東海道線の支線であった。

品川駅内でたまたまエナジードリンクのプロモーションで配っていたので、ありがたく頂いて一杯。
疲れた体に染み入ります。

これで帰路に。

※なお、写真一覧(ブログに無い写真も)はコチラ

  


Posted by かるの at 11:56Comments(0)視察・研修

2015年10月03日

本日講演「式年遷宮 永遠なる常若の宮」 三島市 カフェうーるーにて

本日9時半から三島市のカフェうーるーにて行います。

内容は「式年遷宮 永遠なる常若の宮」です。



(御神体を新しい宮に移す遷御の儀)

 
 日本最大の聖地とされる伊勢神宮。
 この宮は宝物に至るまで20年の間隔で全く新しく造り替えられる。
 この習慣はなぜ生まれたのか、伊勢神宮が聖地とされた背景から、現在に至るまでの遷宮についてお話しします。

 「古代史・伊勢神宮・建築史・式年遷宮・斎宮・持続可能社会・飛鳥時代に関心がある方におすすめです。」

 会費:500円+ワンドリンクオーダー

 時間:9時半から11時半予定

 開催場所はコチラ・カフェうーるー(三島市南本町13-30 ☎055-981-5539)

 参加の申し込み不要。
 問い合わせはオーナーメール、もしくはうーるーさんへお願いします。

 ちなみに、タイトルの「世間士(ショケンシ・セケンシとも)」とは、民俗学の言葉で「各地で見聞きしたことを故郷に伝え、役に立てる人」という意味です。
 本来は「世間師」が正しいですが、自分で「師」というのもおこがましいので、「士」としました。  


Posted by かるの at 02:02Comments(0)歴史発見講座

2015年10月02日

「Volcano with Kotoshironushi 」

 軽野造船所では余り知られていない歴史を伝えるという目的で、各地で歴史講座を展開してきました。

 その一環として、「歴史を伝える」手段の一つとして、Tシャツデザインに着目、作成しました。

 人の正面に向き合うデザインをきっかけとして、地域の歴史を呼び起こすきっかけになれば、という趣旨であります。

 歴史を繋げる、という事で、
 「Historical Transmission design
と銘打ちました。



「Volcano with Kotoshironushi 」


伊豆諸島に近付いた事代主を左下に配置し、噴火によって伊豆諸島が生み出されていく様を表しました。伊豆諸島には造島神話によって島が生まれた順番を示してあります。
更に、三宅島から三島大神が移って来たという伝承から、破線によって白浜、広瀬、三島へと至るまでの足跡を示しています。

 この神話に関しては拙講座「日本の神話を旅する 神代編」にて取り上げています。

 お求めはヤフーショッピング内の軽野造船所ページでのネット通販、店頭では東高円寺・散歩かふぇ ちゃらぽこにて 

 特注で様々なカラー、サイズも作成できます。以下のカラーバリエーション、サイズ表を目安にして下さい。

 ※特注の場合はメールにて、Tシャツカラーとサイズをご連絡ください。オーダーから三週間ほど掛かります。
特注価格 3500円(送料込)


 これからも様々なデザインを展開していきますので、よろしくお願いします。  


Posted by かるの at 13:28Comments(0)Historical Transmission design

2015年10月01日

9月30日 高嶋酒造講演 「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」 参考文献

 9月30日に沼津市の高嶋酒造にて「賀川豊彦 俗を行き交う聖人」についてお話させて頂きました。

 参加して下さった皆様、ありがとうございました。

 講座に当たっての参考文献は以下の通りです。
 
 書名/著者
 死線を越えて/賀川豊彦
 賀川豊彦/隅谷三喜男
 青春の賀川豊彦/雨宮栄一
 評伝 賀川豊彦/武藤富男
 御殿場市史 第7巻/御殿場市 刊
  


 ご参考にして下さい。

※次回は10月28日18時半~「ムラの社会 闘う村と百姓たち」と題し、ムラの成り立ちから中世に興った自治集落についてお話しします。  


Posted by かるの at 06:57Comments(0)歴史発見講座