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2017年05月04日

機音と蔵と門前町 城端散歩

※この記事は2014年の記事を再編集したものです。

6:55 城端駅着
機音と蔵と門前町 城端散歩
城端線はその名の通り、城端へ行く路線であり、城端が終着地
機音と蔵と門前町 城端散歩
JRのいわゆる「盲腸線」が少なくなりつつあり、実際に城端線も存廃が議論されている。

機音と蔵と門前町 城端散歩

機音と蔵と門前町 城端散歩

戦国期に荒木大膳が要害のこの地に城を築いたことから城ケ鼻と呼ばれる。
民俗学者・柳田國男の紀行文「木曾より五箇山へ」の中で『城端は機の声の町なり』と紹介している。
機音と蔵と門前町 城端散歩
柳田は木曾の上松を明治40年5月28日に旅立ち、高山を経由して五箇山へ。そして城端から金沢、さらに和倉温泉へ。富山から魚津、泊へと旅した。
城端を通過したのは6月5日。山中の旅路から人里へと無事に辿りつき、機を織る音が静寂の山道の旅から、人々の生業の音を喜んだ一文である。

 交通の要所として砺波地方の山の産物・野の産物が集まる市場町であり、また、「城端別院」の名で浄土真宗信徒に親しまれている善徳寺を中心とした門前町。この日は町には市が立ち賑わい、市ではさつまいもの苗を売る人が多くみられたと細かな観察をも書き残しています。

合掌造りの五箇山への案内図。車以外のアクセスとしてはここから。
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城端は五箇山との取引により五箇山貸商人を生み出した。五箇山地方は険しい山に遮られ交通が困難な上に、厳冬期は半年近く雪に閉ざされ陸の孤島となる。
その為、五箇山の住人は冬を前に生活物資を買い貯めする。しかし貧しい山間の村民に現金は無く、そこで冬明けに生産される生産物の独占的取引を担保に生活物資の前借りを行う。
いわゆるこの先物取引は城端の商人に都合の良いものであり、城端の商人は富を得、五箇山の住民の生活は厳しい状況に置かれた。
加賀藩では貸金業を禁じていたが、五箇山の特殊事情を考慮し特別に公認していた。

そして、城端と言えばアニメ制作会社P.A.WORKSの所在地であることから、同社制作のアニメでは城端を始めとする富山県各所が作中に出てくる。その「聖地巡礼者」向けに現地でないと視聴できないアニメが「恋旅」である。
機音と蔵と門前町 城端散歩
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城端駅はやや町の外れであり、尚且つ市街地には坂を上らないといけない。

城国寺の芭蕉塚
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 城端の俳人 李夫が宝暦11年(1761年)秋に、金沢の俳人既白に随行して西国行脚の折に姫路の随願寺に立ち寄り、芭蕉の遺品を保存していた芭蕉の門人・寒瓜から芭蕉の蓑毛を譲り受け城国寺境内に埋め塚を築きいた。

機音と蔵と門前町 城端散歩
門前には33体の仏像が安置されている。

旧五箇山街道の街並み
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 城端は山と野の中継地点に位置し、五箇山や飛騨白川への拠点となる。また陸路だけでなく、山田川を使って小矢部川に入る舟運にも恵まれていた。
 五箇山産の塩硝、和紙、生糸、漆等の集積地であり、絹織物業、漆業等が盛んだった。山田川と池川の合流点(町の北側端)で井波からの道、福野からの道が合流する。そして町の中から福光(その先、金沢)への道が伸びる。
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宗林寺の川島甚兵衛の墓
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川島甚兵衛は城端に生まれ、幼くして両親と死別し苦労を重ねながらも、単身京都に出て呉服商を開き、織物貿易で事業を拡大。今日の川島織物の基礎を築いた。
この墓には川島織物の幹部もたまにお墓参りに来ているそうだ。
宗林寺は文禄四年(1595)井波瑞泉寺第八世住職准秀によって建立されたということです。

じょうはな織館
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城端の織物のギャラリーと体験できる施設。昭和3年に建築された城端絹織物組合事務棟を利用したもので、 平成12年には国の有形文化財に登録された。
入場無料であるが、今の時間は開いてないので残念。
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その裏側

このじょうはな織館の裏側は「坡場の坂」である。
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坡場の坂は五箇山街道の本通だったところで判方が十軒近く軒を並べていた。
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坡場の坂は、石垣・瓦屋根・縦格子の町屋が建ち並ぶ通り。
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昔の造り醤油屋・城端醤油が残っており、レンガ造りの培菌室・「城」印の入った建屋・「醤油」の看板などが見られる。
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見晴らしの良い場所
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川島地区へ向かう通り。通りを横切る渡り廊下
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 城端は前述した川島織物の創業者である川島甚兵衛の出身地で、川島地区には出世の誓いを立てた「文次郎杉」がある。現在でも古い機織工場が残り、昔懐かしい機織り機の音が聞こえて来る。

浄念寺脇の警察の坂
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昔、警察署があった場所の急坂。元警察署は地域の公民館として利用されている。
浄念寺は「むぎや祭り」の舞台の一つである。

路地も趣がある
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城端の中心と言える善徳寺
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 善徳寺は文明三年(1471年)、蓮如によって開基された。
 城端という町は天正元年(1573)年の開町の後、この寺を中心に発達した門前町である。
 親鸞聖人直筆の「唯信抄」をはじめ、什宝物・法宝物・古文書など、約1万点の寺宝の一部が常設展示されている。
 現在は東本願寺の城端別院となっている。

今町通り
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善徳寺前から続く石畳の通りで、城端が絹織物で賑わっていた明治期の四棟の土蔵は、旧野村銀行を経営していた財閥・野村家の蔵を銅葺きの建物で覆った“蔵回廊”に面している。
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現在は、曳山会館になっています。

今町通りの先には、昔は銭湯(桂湯)で、今は手づくり小物店に生まれかわったレトロな建物も。
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窓には「のぞきOK」と書いてあった。

瑞泉寺
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 瑞泉寺は、本願寺五代の綽如(しゃくにょ)によって開基された。
 本願寺と織田信長が戦った石山合戦の講和を知らせる顕如からの手紙が伝えられている。

ふと気になったこの神社の境内
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「和助碑」とある碑が気になったので撮影。
調べてみると、荒木和助(1734~1806)、本名(殿村屋和助)またの名を唐津屋和助、荒木直暢ともいう城端焼の創始者の旧居がここに在ったという。
芸術・工芸に才能を発揮し、城端曳山祭の殆どの御神像を制作した。
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手前の石垣が焼き物の釉薬の様に。


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善徳寺の角に在る溝口梅花堂
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先程は開店前であったが、開いていたので入って色々と物色
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お茶を出して頂きました。雨でやや肌寒かったので温かいお茶が嬉しい。

一息入れた後、駅へ戻る。しかし一時間近く発車まで時間があるのだが、駅の中にある一室が。
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城端や富山を舞台としたアニメ「True Tears」の「聖地巡礼者」向けの部屋であった。
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True Tearsを取り上げているアニメ関係の雑誌や同人誌まであり、時間を潰すには困らなかった。

時折、雨が降っていて、歩くには難儀したが、雨によってしっとりとした寺の雰囲気と、雲にけぶる山々の景色が素晴らしかった。ある意味、天気が良い時よりも雨で良かったかもしれない。
 今回は終点である城端まで来たが、城端線の途中にも良い街並みがありそうなので訪ねてみたいものである。



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Posted by かるの at 02:48│Comments(0)視察・研修
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