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2016年08月26日
港で海風を 横須賀散策
横須賀へ行く。
横須賀といったらやはり戦艦・三笠を見なくてわ、ということで三笠公園へ。
東郷平八郎像と共にある三笠。
船首は皇居を向けて保存された。
日本が先の大戦で降伏した際、ソ連は解体すべしと迫ったそうだが、アメリカ海軍は記念艦として保存する事に尽力したのであるが、艦内にダンスホールを設けたりした。
現在は保存されている形であるが、戦後の物不足の際に鉄材として持ち去られ現在の砲塔、煙突、マストなどは、戦後に作成されたレプリカであるという。
日本海海戦はバルティック艦隊を破った、という勇ましさで語られる事が多いが、三笠艦内でも113名の死傷者が出ている事を忘れてはなるまい。
艦内には死者が出た場所なども表わされている。
三笠公園からは歩いて5分ほどのヴェルニー公園へ。
ヴェルニー公園は幕末に横須賀製鉄所を設計したフランス人技師・ヴェルニーにちなんだ公園で、バラの名所である。
公園は横須賀製鉄所の対岸。停泊する護衛艦を眺める事が出来る。
ヴェルニーの像
ヴェルニーの像と並んで小栗忠順の像が並んでいる。小栗は勘定奉行として横須賀製鉄所の建設を推進した。
すぐ近くには、小栗ゆかりの群馬県倉渕村から寄贈された「記念石」が置かれている。
逸見波止場衛門跡
旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所として明治末期から大正の初期頃に建てられた。
ヴェルニー公園の中にあるヴェルニー記念館に入る。
ここではヴェルニーの業績を展示している。
中でも見ものは慶応元年に横須賀製鉄所に設置され、近年まで使われていたスチームハンマーである。
0.5トン型は71年まで稼働。
3トン型は96年まで稼働していた。
この槌先から様々な製品が叩き出されたのである事を思うと感慨深い。
ある意味、日本の産業史を見つめて来たものであろう。
ヴェルニー公園から戻って、どぶ板通りを歩く。
前からどういうネーミングなのだろうと思っていたが、かつて、道の真ん中に小川が流れていて、それを海軍工廠から厚い鉄板を譲ってもらい、それで小川を暗渠にして出来た通りと言う事だ。
多いのはやはり軍モノやスカジャンの店である。
元々在ったのであろう地蔵の祠
横須賀の市街地から、更に三浦半島を南下する。
そしてペリーが現れた浦賀へ。そこにあるペリー公園に。
ペリー上陸記念碑
碑文は伊藤博文の筆によるもの。
記念碑のウラ
ペリー記念館。
残念ながら閉館時間になってしまい、中は見る事が出来なかった。
ペリーの航海図
歴史的な場面の公園は、子供たちが走り回る公園でもありました。
横須賀といったらやはり戦艦・三笠を見なくてわ、ということで三笠公園へ。
東郷平八郎像と共にある三笠。
船首は皇居を向けて保存された。
日本が先の大戦で降伏した際、ソ連は解体すべしと迫ったそうだが、アメリカ海軍は記念艦として保存する事に尽力したのであるが、艦内にダンスホールを設けたりした。
現在は保存されている形であるが、戦後の物不足の際に鉄材として持ち去られ現在の砲塔、煙突、マストなどは、戦後に作成されたレプリカであるという。
日本海海戦はバルティック艦隊を破った、という勇ましさで語られる事が多いが、三笠艦内でも113名の死傷者が出ている事を忘れてはなるまい。
艦内には死者が出た場所なども表わされている。
三笠公園からは歩いて5分ほどのヴェルニー公園へ。
ヴェルニー公園は幕末に横須賀製鉄所を設計したフランス人技師・ヴェルニーにちなんだ公園で、バラの名所である。
公園は横須賀製鉄所の対岸。停泊する護衛艦を眺める事が出来る。
ヴェルニーの像
ヴェルニーの像と並んで小栗忠順の像が並んでいる。小栗は勘定奉行として横須賀製鉄所の建設を推進した。
すぐ近くには、小栗ゆかりの群馬県倉渕村から寄贈された「記念石」が置かれている。
逸見波止場衛門跡
旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所として明治末期から大正の初期頃に建てられた。
ヴェルニー公園の中にあるヴェルニー記念館に入る。
ここではヴェルニーの業績を展示している。
中でも見ものは慶応元年に横須賀製鉄所に設置され、近年まで使われていたスチームハンマーである。
0.5トン型は71年まで稼働。
3トン型は96年まで稼働していた。
この槌先から様々な製品が叩き出されたのである事を思うと感慨深い。
ある意味、日本の産業史を見つめて来たものであろう。
ヴェルニー公園から戻って、どぶ板通りを歩く。
前からどういうネーミングなのだろうと思っていたが、かつて、道の真ん中に小川が流れていて、それを海軍工廠から厚い鉄板を譲ってもらい、それで小川を暗渠にして出来た通りと言う事だ。
多いのはやはり軍モノやスカジャンの店である。
元々在ったのであろう地蔵の祠
横須賀の市街地から、更に三浦半島を南下する。
そしてペリーが現れた浦賀へ。そこにあるペリー公園に。
ペリー上陸記念碑
碑文は伊藤博文の筆によるもの。
記念碑のウラ
ペリー記念館。
残念ながら閉館時間になってしまい、中は見る事が出来なかった。
ペリーの航海図
歴史的な場面の公園は、子供たちが走り回る公園でもありました。
Posted by かるの at 22:19│Comments(0)
│視察・研修